昭和42年03月22日 夜の御理解
信心の喜びというのは、自分の悩みとか、又は苦しみとか。解放されているという、解放されて行きつつある自分が有り難いのである。解放されるから、又、有り難いのである。いわゆる、解脱して行くのである、苦しみにという悩みという、悩み苦しみから離れていくという喜び。それが信心の喜びなんです。皆さんは信心の喜びというのを、どこにおいておられるだろう。お取り次ぎを頂いてお願いをする。
はぁほんにやっぱ不思議な事じゃある。やっぱりおかげ頂くというそのことが喜びであるならば、それは本当の喜びじゃありません。それはちょうど子供が好きなものでも貰うた時にニコニコするようなもので、それがおもちゃであるならば食べ物であるならば、食べてしもうたらおしまい。もうそれを崩してしもうたらもうそのおもちゃに飽くのである。そういう喜びも確かに信心にはついております。
いわゆる御利益というのは必ずついております。御利益そのものが有り難いのであっては、ただ今申しますような事でございますから、初めのところはそこからついて参りますみんなが。そこから信心に入って参ります。けどもそれでは本当のおかげになりません。いわゆる信心の成長という事を言われるのは、そう言う様なものは言うなら、どうでも良いというのではないけれども、そういうようなものが目指しではないと。
自分の心の中にあるいわゆる悩み苦しみ、言うなら心配といった様なもの。いうならば心の中に安心のおかげを頂くと言うこと。しかもそれはどのような場合でも安心のおかげを頂くということが、目指しなんである。またそれが段々出来ていくことが信心の喜びだと。それがいよいよ本当なものになっていくことが、信心が成長して行きよるのである。風邪をひきますともう頭が痛い、寒気がする咳が出る。
例えば風邪をひいても、それだけの苦しみというのが伴うのです。ですからその風邪、そのものが治らなければ、熱も下がらないし咳も止まらないし。寒気も止まらないようなものなんだ。問題は風邪そのものが治らなければ。その悩みとかいう苦しみとかいう、その悩み苦しみのもとが私は、根絶されていかなければ人間の悩みは、いわゆる解決しないのです。ここんところを、皆さん本当に分からせて頂きますとですね。
信心がいよいよ尊いもの、有り難いものという事になってくるのです。そこで思わなければならないことは、イライラする心配になる。もう思えば思うほど、夜も眠られんほどに悩み続ける。苦しい、そういう時にはです、自分の心の傷というか。心の病気というものが、苦しんでおるんだと悟らなきゃいけません。もやもやするのもイライラするのも、ちょっとした腹立ちでもです。
やはり自分の心の中のちょっとした傷が、もう腹立ちになって現れておるのであります。それが悩みが深ければ深いほど、苦しみが強ければ強いほど、自分の肉体ではなくて、自分の心が、心が病気をしておるのであり、心が傷ついておるのである事を分からせて貰うて、心の傷つきを癒して行く事に努める。心の病気を根絶していくことに努める。そこにやはりお医者さんに行って打診しなければならない様に。
診察に行かなければならないように、お広前、お参をりさせて頂いて、御理解を頂いておると。はぁここが悪いのだ、そこが傷ついておるのだということが分かってくるのです。ですから、そこんところに取り組んで、信心がなされていく時に、段々これが癒えていくところの、楽しみ、喜び。それが信心の喜びだということをです。皆さん分からせて頂くと、信心が、いよいよ、本当なものになって参ります。
どうぞそういう信心を目指さなければいけません。いよいよ今晩は言うなら、明日の御霊様のお祭りの前夜祭に等しいもの。前夜祭というのはいうなら、明日綺麗な髪を結い上げる。昔女の方がこう髪を結うていました。結う前には必ずこれを綺麗に洗い上げました。そしてそれを綺麗に梳きあげました。そしてそれを束ねて、髪結いさんに行くと、髪結いさんがすぐそれを結うてくれるようにです。
今晩はそのもつれにもつれておる、その髪を解き流したり洗うたり、梳き流がしたりさせて頂く。そういう意味において前夜祭は有り難い。明日皆さんが、銘々の言わばご遺族の方違が、ご先祖の御霊神様と、ここで晴れて、晴れて面会をされるとでも申しましょうか。お互いに御霊様と私共が喜び合えれるというのが、明日の御霊様の御祭りの中心になるのでございます。
そこでです。そこで例えば、今日、私が申しましたように、自分の心に、心配があったり、不安があったり、悩みがあったり、苦しみがあったりというならばです。それは、自分の心が、痛んでおるのであり、心が痛さを感じ、又は、苦しみを感じておるのでございますから、その心を、まず癒そうと。まずその根本のところから取り組まして頂こう。この傷を癒させて頂くためにという気持ちにならせて頂いただけで。
私は心がすっきり心が、段々救われてくる自分を分かってくるだろうと思うです。なかなか一遍に、心の病気が癒えてしまうということは、それは肉体の病気がさぁと、いうふうに治らないようにです。それは時間がかかることでございましょうけれども。それを癒やす事に、それを治すことに努めさせて頂こうという願いを、今晩、皆さんが、立てられるならばです。
それは、ちょうど、髪を洗うたり、髪を梳き流したりするような事になるのではなかろうか。そして明日は、例えば、お粗末ながらも、髪を結い上げさせて頂く。自分の一つの、信心というものの目指しを、はっきりさせて頂くところのおかげを頂かせて貰うて、、そうした有り難い、または、すがすがしい気持ちで、明日の御霊様のお祭りを拝ませて頂きたいと思うのでございます。
どうぞ。